20代で佐用町にUターン。将来を担うアトツギ2人にインタビュー

光土木・尾﨑翔さんと畑瀬製麺所・畑瀬有宏さん

少子高齢化と人口減少が進む佐用町において、家業があっても都市部で働くという選択する若者は年々増加傾向にあります。この理由は、佐用町での事業に将来性が見えづらいこと。

とは言え、逆境の中でも佐用町にUターンして町の将来を切り開こうとする若者も少なからずいることも事実。

今回は、20代半ばで佐用町にUターンしてきた後継者人財2名に、同じくUターン組の重田がインタビューしました。

目次

インタビュイーのご紹介

畑瀬 有宏(はたせ くにひろ)

1998年4月4日 生まれ
兵庫県佐用町海内 出身
京都産業大学 経営学部 卒業

大学在学中から(有)畑瀬製麺所を手伝う。大学卒業後は、東京の不動産ベンチャーに入社し、2022年に佐用町へUターン。(有)畑瀬製麺所の後継者として、「揖保乃糸」ブランドを次世代に紡ぐ。

有限会社 畑瀬製麺所


尾﨑 翔(おさき しょう)

1998年4月17日 生まれ
兵庫県佐用町長尾 出身
神戸学院大学 経営学部 卒業

高校在学中に(株)光土木への入社を決意。高校卒業後は、企業経営に関して学ぶために大学へ進学。大学卒業後すぐに(株)光土木へ入社し、土木・不動産業を通して佐用の将来を創る一助を担う。

株式会社 光土木

後継者としての自覚と佐用町へのUターン

重田) 現在26歳(2024年)と、非常に若い “後継者” ですが、どのタイミングで「家業を継ぎたい」と思うようになったのですか?

尾﨑) 私は高校生の時ですね。

重田) 何かきっかけがあり継ぎたいと思ったのですか?

尾﨑) 父親(尾﨑琢也氏、光土木社長)の背中が格好良いと思ったんです。外仕事が中心なのですが、夏暑い中でも、冬寒い中でも愚痴一つ言わずに頑張っている姿が格好良いなと。当時は父親が頑張っている姿が格好良いとしか思っていませんでしたが、実際に会社に入ってみると、私たちの仕事は暮らしをより良くする仕事だと実感できたのでやりがいも感じています。

重田) それこそ2023年の2月でしたかね?大雪が降った時。私も長尾に住んでいるのですが、朝早くから除雪作業をしていただいたおかげで非常に助かりました。長尾の除雪作業は完全ボランティアだったとお聞きしていますが、一住民としては「光土木」さんが近くにいてくれて本当にありがたかったなと感じました。

重田) 畑瀬さんはどのタイミングで家業を継ぐことを考え始めたのですか?

畑瀬) 私は大学在学中です。授業も少なくなり出した3回生の時はよく手伝いに帰省していて、4回生の時にはほとんどフルタイムで働いていたんです。それまでは普通に就職して東京で働こうと思っていましたが、手伝い始めてからは家業に入ることも良いなと思うようになりました。

重田) なるほど。ちなみに一度就職されていますが、卒業後すぐに家業に入る選択肢はなかったのですか?

畑瀬) ありましたよ。4回生になってからは就職せずに実家に入ろうと考えたこともあり父親(畑瀬正己氏、畑瀬製麺所社長)に相談もしました。ただ会社員という選択肢を潰す必要もないので一度経験してみようかなと。あと、「都会に出た方が良い」って言う人も多くいますけど、「本当にそうなのかな」という疑問もあったので、一度東京を体験してみようということで就職をしてみました。

重田) 結果的に佐用に帰ってきたということは、「都会」よりも「田舎」の方が良かった…?

畑瀬) ですね。それはそうです。私は都会よりも佐用の方が良いなと思いました。あと、会社員として働くって、なんて言うか、責任なく仕事をこなす みたいな感じだったんですよね。私的には、後継者としての自覚を持ち、責任感を持って働くことの方が楽しいと感じるので、それもありUターンし畑瀬製麺所に入りました。

重田) 尾﨑さんは佐用に帰ってきて良かったと感じますか?都会に出たい思いなどはありませんか?

尾﨑) あまり考えたことないですけど、都会で暮らしたいとはあまり思ったことないですね。なので佐用町での生活は自分には合っているのかなと思います。遊びたい・買い物がしたいとなれば姫路や大阪に出れば済みますしね。

佐用町にUターンしてみて。

重田) Uターンして数年が経つと思いますが、佐用町という町に思うこと・感じることなどはありますか?

畑瀬)佐用町って田舎の中の田舎じゃないですか。いわゆる僻地。だから「暮らせないんじゃないの?」って思う人もいると思うんですけど、実際に帰ってきてみて「田舎の方が暮らしやすいんじゃない?」って感じています。

重田) どういう点が?

畑瀬)都会にいる時は、付き合いなどで外にお酒を飲みに行くこともよくありました。でも佐用町にUターンしてからは、月に数回飲みに出る時はあっても毎日のように出歩くことはない。だから、都会にいた時よりも、本当に自分がやりたいことに時間もお金も使えるようになりました。ストレスも減ったんじゃないかなと。

尾﨑) 確かに佐用町に帰ってきて飲み歩くことはなくなりましたね。おかげで家族との時間を増やせたなと感じます。あとは佐用町って狭いじゃないですか。だから、分からないことがあったら誰かに聞くことができる。

畑瀬) 会社の駐車場を広げるんですけど、何も分からなかったので尾﨑くんに相談してみたら光土木さんが対応してくれました。(笑)

尾﨑) 私は会社のことを畑瀬くんに相談したら、いろいろとアドバイスをくれるので頼りにしています。(笑)

畑瀬) ありがとうございます。(笑)
でも本当にみんな近い位置にいるので、会社のことでも、生活のことでも、何か聞きたいことがあれば聞くべき人がパッと出てくるのは佐用町の良いところですね。

重田) では、佐用町への移住者やUターン者は、尾﨑さん・畑瀬さんを頼ってもらえれば良いですかね?

尾﨑) 全然良いですけど、重田さんが移住者・Uターン者の受付窓口になってください(笑)

アトツギが考える佐用町の将来

重田) 最後に、佐用町の将来にどんな考えをお持ちですか?

尾﨑) 今のままだと近い将来、佐用町は無くなってしまいます。

光土木では、土木工事のほか、宅地造成をしたり空き家やアパートなどを提供したりしていますが、ただ住む場所を提供するのではダメだと考えています。

もちろん光土木だけで実現はできませんが、今後は、佐用町に住んでよかった と思ってもらえる、プラスアルファを生み出していきたいと思っています。

畑瀬) 若い方にどんどん入ってきてもらいたいですね。

田舎暮らしに馴染めるか不安という方も多いと思いますが、佐用町は、働く場所も案外多いですし、都会へのアクセスも良いですし、すごく暮らしやすい町です。

若い起業家も徐々に増えていますし、20代・30代前後の若い力で、佐用町を面白い街にできればなと思っています。


以上、畑瀬さん・尾﨑さんのインタビューでした。
取材場所:株式会社 光土木

光土木・尾﨑翔さんと畑瀬製麺所・畑瀬有宏さん

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